ぱーぷりんの わがパソコン歴

 @ まず初めはポケコン
 A 伝説のパソコン「PC−8001」登場
 B パソコン失望期
 C 格闘! フロッピイディスク
 D MS−DOSの時代到来
 E ハードディスクを入手
 F MS−DOS全盛期
 G Windows3.1の登場
 H Windows95の発表
 

  @ まず初めはポケコン

まだ学生の頃( 昭和54年頃 )「コンピューター」というモノが,世間に出回ってない頃( たしか,電子計算機とよばれていたころでした・・ )に,初めて手にしたのが,電卓にプログラム機能の付いた,「 プログラム電卓 」とか「 ポケコン 」と呼ばれていたものでした。
電卓の計算順序を,メモリーに記憶させるといった感じのものでした。
当時,指示した手順とおりに動作する事がうれしくて,夢中で遊んでいるうちに,夜が明けた日もありました。


  A 伝説のパソコン「PC−8001」登場  (8ビットマシンの登場)

 この時代は,キーボード・ディスプレイの付いたコンピューターは,日本橋に行っても構えの大きな店で, 店頭ディスプレイに,1・2台おいてある程度で,値段も100万円をはるか超えていました。  従って,とても手の出るシロモノでなかったのです。  また,当時パソコンは,ワープロが打てる訳でなく,プログラムもマシン語か, 簡単なものでもベーシックで自作するという,マニアックな道具でした。

 大学も無事に卒業したある日(昭和55年頃?),知る人ぞ知る, 今や伝説のマイコン「PC-8001」が発売されたのでした( 当時はマイコンと言っていた)。 たしか,ディスプレイを付けて, 30万円以下だったと思いますが,発売と共に,飛びつくように買いに走りました。  これは,ベーシックによるプログラムが組め,「ポケコン」に比べれば, はるかに多彩なことが出来,持って遊ぶには,この上ないオモチャでした。  当然のこと,毎晩2時3時の繰り返しで,当時建築の現場監督をしていたのですが、通勤途中が貴重な睡眠時間でした。

 使い込んでいるうち,チョットしたプログラムひとつ作るにも,デバッグ用にプリンタ−がないと不便で, 僅かな給料を二,三月ほど貯め込んで買いに走りました。  当時プリンターの字種は,カタカナとアルファベットが使えるだけですが,それ以前に大学で習っていた, フォートランのプログラムではアルファベットのみでしたので, カタカナが使えることは,当時としては画期的な事だったのです。 (当然,実用的な文書の印刷は出来なかった

 当時マイコンは,計算処理が出来れば十分で,今日のようにワープロやデータベースに利用するわけでなく, 技術計算以外,実用的にはほとんど何も出来ませんでした。
 一方プリンターも,今でいう半角文字が印刷できるだけで,それもドッド間の隙間が見えるという,荒い印字でした。  それでも20万円近くしたような・・・,今考えれば笑い話ですね。


  B パソコン失望期

    PC-8001性能表
RAM 32KB(初期状態で16KB)
CPU Z80
(インテルの8080がベース)
記録装置 カセットテープ
8インチフロッピーディスクも使えた
プログラム
手法
マイクロソフトのN−BASICを搭載
マシン語
その他 モニターをつなぐだけで使うことができた
本体定価 ¥168,000 (モニターは別)

PC-8001で,ひと通りの事をやってみると、実用的に出来ることは,たかが知れています。 メモリは32KB,記録はカセットテープ(フロッピーはあったが高嶺の花でした)で, データの記録は実質的には出来ません。  プログラムくらいはセーブ出来ましたが,32KBの容量いっぱいのプログラムなら,10分近く必要でした。  それも,保管が悪く,テープが伸びてしまって,せっかくのプログラムを,何本かオシャカにしたものです。

 また,もう一つ何とか出来るものに,「ゲーム」がありましたが (今のゲームとは比較にならない簡単なモノ),とにかく処理スピードが遅いため, 思考系のもの以外は,ベーシックで作ったものでは実用スピードが出せず,マシン語で組まなければ使い物になりません。  しかし,マシン語は,ハードに関する知識が必要な上,デバッグが非常に大変で,これも挫折しました。

 結局2年くらいは,マクロアセンブラに挑戦したりと、いろいろアガキましたが,時間と共に,次第に気消沈してゆき, なにもしないまま(出来ずに)時間だけが経過してゆきました。



  C 格闘! フロッピイディスク

 昭和57年,建築の現場監督より,地元の建築設計事務所に転職しました。 ある日,些細な経緯より,この事務所に出入りしている事務機屋さんより,新しく買ったパソコンに,伝票発行のソフトを組むように頼まれました。 そして機械を見ると,PC−8001mkUで,「少し役不足かな?」と感じましたが,横には,なんと(あこがれの)フロッピーディスクがついていました。 このような大仕事が出来るかどうかは(それまでデータを扱うソフトは組んだことがなかったので),非常に不安でしたが,フロッピーディスクをさわりたさの余り,OKしてしまいました。

※ 当時のフロッピーディスク : 5インチ , 2D ,(容量)320KB , 2ドライブ
  (フロッピー1枚 2,000円くらいしたような?)
  当時,FD内蔵の機種はなかったような・・・。

 はじめは,フロッピーディスクがさわれる喜びで,時間の経つのも忘れていました。 とにかく,カセットテープで,数分かかった「SAVE」や「LOAD」が,「カッチン・カッチン」と数回言う間に出来てしまうのに驚きました。 これで,今まで出来なかった「データを管理するプログラムが出来るぞ!」,とチャレンジ欲で一杯になりました。 しかし,何のノウハウもなく始めたものの,プログラミングが進むにつれ,予想しない問題に突き当たります。

何とかそれを解決できると,またその先々に,新たな問題が発生・・・。
それを改善すれば,係わる部分にバグが発生し,そのデバッグに,予定外の時間費やす・・・。
まともなフローチャートもなく始めたので,ある程度形が出来た時点で分かる,データ構造の拙さ・・・。
これには,根本的な修正が必要になり,また全体の見直し・・・。

 こんな事の繰り返しのあげくに,何とかカンとか動くようになったソフトを使ってもらうと,そこで初めて聞く具体的な要望・・・。 そのためには、根本的にやり直ねばならないところを,何とか譲ってもらってオシマイにしてもらいました。
 このとき痛感したのが,「パソコンのオリジナルソフトは割に合わない。」という事で,いまでも,この点に関してはまちがいないと確信しています。 この時代と機種を考えれば,滅茶苦茶なことを引き受けたものだと,事務機屋さんには申し訳なく思っています。

(PS)この頃は漢字は,コードを呼び出しての表示,しかできなかった。


  D MS−DOSの時代到来  (主役は16ビットマシンに−−)

 「まだマイコンは実用に耐えない」と思い込んでいたある日,職場で, 建物の骨組みの強度計算の為に,コンピューターを導入する事になりました。  そして所長より,私にその機種とソフトの検討を任されました。(昭和59年だったような・・
 しばらく遠ざかっていたパソコン事情(この頃よりマイコンからパソコンに呼び方が変わった) を調査してみると,時代は大きく変って行きつつありました。

  16ビット機「PC−9801」の登場

 これより2,3年前に,ビジネス向けとして,NEC初の16ビット機,あの有名なパソコン 「PC−9801」発売されました。
この98シリーズ初代機は,その後のNECのパソコン独占期, 「パソコン=キューハチ」と言われた時代を築く走りとなり, パソコン界の流れの大きな節目となったマシンです。
 しかし,これにはFDが内蔵されなかった為,この後に出てくる,2DDのFD (フロッピーディスクユニット)が内蔵された「PC−9801F2」を経て, 1MBの容量を扱う2HDを内蔵した「PC−9801VM2」が, パソコン界全体にも大きくブームを呼んだような気がします。
 私も漏れず,この機種を,全財産をハタイテ(なんと周辺機器や,マウス, トラクターフィーダーを併せて,100万円をすこし超えました)買いました。

  PC−9801初代機の性能表
RAM 128KB(最大640KB)
CPU i8086 (5MHz)
記録装置 なし
外付けFDを接続可
プログラム
手法
N88−BASIC(86)
マシン語
定価 298,000円

  辞書の登場 

 この頃までは,漢字(全角文字)を表示する場合は,一文字ずつコード番号で呼び出していました。 従って,そう簡単に全角文字は使えませんでした。
 当時,コンピューターといえば,すべてカタカナで出力されるのが,当たり前の事で,それが大型機を含めて,コンピューターの印字らしいとされていました。
 ところがこの頃には,「辞書」と言うモノが出現し,キイ操作一つで全角入力モードになり,まずはひらがなで入力し,もう一操作で漢字に変換されるのです。 「何を当たり前の事を・・」とおっしゃるでしょうが,当時は「これはすごい事が出来るようになった」と,心を熱くなったのを記憶しております。
 これにより,コンピューターの扱う文書が急ピッチで,カタカナより,日常使っているのと同じ,漢字仮名混じりの文章になっていきました。

  MS−DOS(OS)の登場

 もう一点見逃す事の出来ないものがありました。 こちらの方が,大きい変革かも知れませんが,基本ソフト(OS),MS−DOSや,PL/1?(コレは怪しい)の登場です。
 これにより,メーカーごとに設定してあった,OSと開発言語ソフトが一緒になったもの(N88−DISKBASIC等)から,OSが独立して,その上で動作する「アプリケーションソフト」と,役割が分担される様になりました。
 これにより,アプリケーションソフトの開発がしやすくなり,多くのソフト会社が出来,さまざまなアプリケーションソフトが発売されました。
 具体的には,開発言語寄りの,「BASICインタープリター」や「コンパイラー」,「マルチプラン」などの表計算ソフト,カード型データベースの「The Cardなどいろいろあり,一方,ワープロソフトの「JX−WORD太郎」(バージョンアップして「一太郎」に変わる。)や,「CAD」の先駆である「Candy」なども発売されました。
 これらの登場により,パソコンに対する認識は,マニアがソフトを作る「遊び道具」だった物が,一般層への「実用事務機器」に変わって行きました。

(PS)今思えば,パソコンのユーザー層が大きく広がった,第一期といえるでしょう。


  E ハードディスクを入手

 新しく買った「PC−9801VM2」は,自宅にいる時は,電源の切れることがないほど,いろいろ使い(イジルと言った方が正しい・・)込みました。 ソフトは「一太郎」を買って文章作成し,「マルチプラン」で仕事や,プライベートで使う表を組み,またRDBリレーショナルデータベース)の「dBASE」を勉強した(まともなものは作れなかったが・・)りしました。

 そんな時,以前より欲しいが高くて手のでなかったハードディスクHD)が,10万円台で発売されました。 新しい物好きの私は,ほとんど躊躇なく購入しました。 容量は20MBでしたが,当時のソフトは1MBのFDに,「辞書」と「ソフト」が入っていて,「辞書」がその半分くらいを占めていましたので,辞書を共有すれば,普段使っている「ソフト」を全部組み込んでも,十分な物でした。(今のHDの,3桁ギガから見ると,パソコンの進化の速さがわかりますね−−

      ハードディスク歴(パソコン初期内蔵以外) 年代はあやしい
年 代 使用パソコン HDの容量 HDの価格
昭和60年頃 PC−9801 VM2 外付   20MB 約14万円
昭和62年頃 PC−9801 RX21 外付   80MB 約18万円
平成5年頃 PC−9801 BX2 内付  240MB 約3〜4万円
平成8年頃 PC−9821 XV13 補助外付  1GB 約3〜4万円
平成10年頃 PC−9821 V200 補助外付  2GB 約3〜4万円

 セッティングして使ってみると,何と処理の早いこと! 何よりも,「SAVE」,「LOAD」,「漢字変換」の時,FDでは「コッチン・コッチン」と数回音がして処理されますが,ほぼリアルタイム(ほとんど音も無いし・・)に処理されるのに「すご〜い」と感動し,それから数ヶ月は,夜な夜なHDをいじる日が続きました。(マシンを買った時以上に凝った・・

 当時のソフトは,プログラム用FD(フロッピーディスク)をAドライブ,データー用FDをBドライブにセットして,リセットを押すのが,一般的な使い方でした。 今では当然の事ですが,使う「ソフト」と「辞書」,さらに「データ」の全てをHDに入れ,電源を入れるとメニューが表示され,選択すればそれぞれのソフトが起動するよう工夫しました。(初期のHDには,ユーティリティソフトはなく,MS−DOSのメニューサービスはもっと後の事です。
 おかげで,「CONFIG.SYS」や「AUTOEXEC.BAT」と「バッチファイル」,「ディレクトリ構造」をいじるのが,とても得意になってしまいました。

 また,アプリケーションソフトを利用して仕事をする「実用的な使用」より,「システム・ソフトをいじる」方が,性に合うようで,MS−DOS版のBASICインタープリタで,当時興味を持っていた「株式のチャートのソフト」などを作り,それをコンパイルして速く動作させる・・。 このような方面にばかりに力を入れておりました。


  F MS−DOS全盛期  (期待はずれの32ビットOS:OS/2)

 昭和62年から平成元年あたり(?),32ビットOSの時代に移ろうとしている頃です。 パソコンに搭載されたCPUも,最後の16ビットCPU「80286」と,最初の32ビットCPU「80386」の両機種が売り出されていて,「いずれは,パソコン環境も32ビットになってゆくのかな」と感じていました。

 そして,いよいよ32ビットOS「OS/2]が発表されました。 いよいよパソコンとオフコンの差がなくなり、かなり大きなデータベースもパソコンで扱え,より広い層へと実用化に拍車がかかることを予期しました。 ところがOS/2は,従来のソフトが使えなかった為か,発売後もほとんど人気がなく,しばらくすれば雑誌でも取りあげられなくなり,対応ソフトも、MS−DOS対応のアプリケーションが幅を効かせ,OS/2対応ソフトは,ほとんど売り出されなかったように記憶しています。 まさに,時間と共に,忘れ去られたOSでした。(Windows NT に引き継がれたようですね・・)

    OS等の変遷 (すこしあやしい)
OSの発表 付    記
昭和58年 MS−DOS Ver2.11 *
昭和61年 MS−DOS Ver3.3
MS−OS/2
一太郎 Ver3
平成元年 * 一太郎 Ver4 , 初のEMSメモリボード
平成2年 Windows 3.0 *
平成3年 MS−DOS Ver5.0 *
平成4年 Windows 3.1 *
平成5年 MS−DOS Ver6.2 一太郎 Ver5 , JUST−WINDOW

 反面、MS−DOSは,16ビットOSの穴を埋めるごとく,次々とバージョンを上げて行き,高性能化してゆきました。
この頃には,MS−DOSの640KBのメモリー枠が,そろそろ飽和状態になって来ており,FDで起動するならまだ良いのですが,ハードディスクより,メニュー選択してスタートする場合,すぐに「メモリーが足りません」のメッセージが出て,HDの設定には苦労したものです。
 そんな時,ジャストシステムより,「一太郎 Ver4」と共に,「EMSメモリー」が導入されました。 これにより初めて,640KBの枠を越えたソフトが現れましたが,このメモリーが高い上(8万円くらいした?),対応したソフトしか効力がなくて、もうひとつ人気がなかった気がします。 

 それより,1,2年後ことでした()。 マシンも32ビットCPU搭載機が主流の時代に移り,搭載メモリも640KBを越え,これに合わせて,MS−DOS Ver5が発表されました。 このOSの大きな特色は,「HIMEM.SYS」により,アッパー・エクステンドメモリーが利用出来るようになり,またデバイスドライバ「EMM386.EXE」より「仮想8086モード」で,2つ以上のソフトを同時に作動できる「マルチタスク」も,16ビットOSで実現されました。
 このように,32ビットへの流れは、16ビットの応用の形で進んで行き,このOSにより,HDの設定も幅が広がり,「CONFIG.SYS」や「AUTOEXEC.BAT」・その他バッチファイルの設定が重要で,またそれがおもしろく,いろいろと研究したものです。 やがて「MS−DOS Ver6.2」に至るまで,OSの主流を独占しました。

(PS) 今思えば,「ソフトの継承」が大切で,当然ユーザーは「今まで出来た仕事が,そのまま出来ること」を最優先します。 従って,いくら性能が良くても,従来のソフトが動かないようなシステムは採用出来なかったのです。
NECは,ソフトの継承性を最重要視したため,パソコンのシェアの9割近くを独占できたのでしょう。



  G Windows3.1の登場  (32ビットOS時代の幕開け)

 マシンは,32ビット環境が整っているのに、実用的な32ビットOSは,なかなか出現しませんでした。 私の単純な考えでは、32ビットOSは,MS−DOSの進化の途上にあると,漠然と思っていました。

 昭和から平成に移る頃,「Windows」というものがあり,雑誌などで話題になり始めました。 そのポイントとなるのは、GUI(グラフィック ユーザー インターフェイス)で,MS−DOSが文字を介して操作していたのに対し,グラフィックスを使って,直感的な操作が出来る事でした。 これに対する雑誌などの評価は、「画期的な物だ」,「ただ重いだけ」と賛否両論があり,私はユーティリティソフトの一種程度に思っていました。

32ビットの実用的なOSは、以外にも,この「Windows」が,Ver3になると共に、この方面からやってきました。

 「Windows 3.0」は,GUIにマルチタスクを実現しており,さらにMS−DOSより起動させる為,従来のソフトの継承も果たし,結構話題になりました。 しばらくすると、Windows 3.1バージョンアップし,雑誌などの話題をさらいました。 

 しかし,Windows 3.1を立ち上げると,MS−DOSに比べて,極端に動作が重くなるため、私を含め、周りのユーザー達は、一度はインストールしたものの、また従来のMS−DOSの環境に戻してしまいました。

 発売後まもなく,Windows 3.1をプレインストールした高性能パソコンが発売され(Canbe等),マシンのスピードアップにより,「動作の重さ」をカバーするようになりました。 一方,ソフトも次々発表され,特に,統合ソフト「オフィス」の発売とともに人気が急上昇したように思います。 しかし,マシンが結構高価で(75MHzのマシンをセットすると50万は軽く越えていたような?)手が出ず,値が下がるのをひたすら待っていました。

 Windows3.1を取り巻く環境は,日進月歩に充実してきました。 ソフトもマイクロソフトの「オフィス」に続き、ロータスも「統合ソフト」を発表,一方「ビジュアルベ−シック」などの開発ソフトも発表されました。
 パソコンユーザーの拡大と共に,ハードの低価格化も進み,10万円余りで売り出されるタイプも発売され,私も飛びつくように買い求めました。 (NECのPC−9821BX2)  また,この頃より、「パソコン通信」という言葉を良く聞くようになり,ニフティなどに入会している仲間もいました。

(PS)Windows3.1の充実に伴い,ユーザー層の幅が,より一層広がっていったように思います。



  H Windows95の発表  (Windowsの成熟期)

 Windows3.1に慣れた頃,マスコミでも「Windows95」の発売が大きく報道されました。 私は、「なぜ,所詮OSのバ−ジョンアップなのに、こんなに大きく騒ぐのだろう?」と疑問に思いましたが,その話題はますます大きくなるばかりでした。
パソコンのOSの名前が,大衆の日常語として浸透したのは,この時が頂点であったように思います。

 しかし,当時の私は、「また重くなるのか・・・」と、当面は様子見を決めていましたが,時間と共に、アプリケーションソフトが次々と、「Windows95対応」にバージョンアップして行きますし、書店でも,Windows95関連の雑誌ばかりです。
 また「インターネット」が出来ると言う売り文句に,「そんなもん,何が面白いんや!」と,当時全く興味もありませんでした。

 しかし,世間の流れは,

パソコン=「Windows95」と「インターネット

の勢いが付くばかりで,マシンも,CPUのクロックが100MHZを越えたペンティアムが搭載され,またハードディスクはギガの単位に乗せるようになり、さらに,インターネットや統合ソフトをプレインストールしたものが,次々発売されました。

 さすがに私も「DOSの時代は終わった」と痛感し,新しいパソコンの時代に乗り遅れないよう,NECの,当時初のタワー型パソコン,「PC−9821 XV13」を買って,Windows95に移行したのでした・・・。

(PS)パソコンは大衆の道具になる日は近い!  ビルゲイツの夢は半ば達せられたか・・・